ブレトンウッズ体制の終焉
1944年に、米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで、44カ国が参加し第二次大戦後の通貨体制を検討する会議が開かれました。ブレトンウッズ体制という名前で認知されているものです。このような為替レートを動かす要因となる国際的なイベントは時代とともに数多く行なわれてきました。1944年に施行されたブレトンウッズ協定は、1971年まで引き継がれました。ここでは、ブレトンウッズ体制の終焉について説明していきます。
ブレトンウッズ体制と固定相場制の終わり
1944年に、米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで、44カ国が参加し第二次大戦後の通貨体制を検討する会議が開かれ、金本位制にもとづく固定相場制が採用されました。また、IMF(国際通貨基金)や世界銀行、国際貿易機構などが設立され、自由経済が提唱されました。
しかし、第二次世界大戦後、圧倒的経済力を誇っていたアメリカですが、1960年代の後半から貧困対策の出費やベトナム戦争が原因となり、国内の需要管理がうまくいかずにインフレが加速、60年代には海外援助や輸入超過などで、国際収支が大幅な赤字を記録しました。その後も経常赤字は増加し、アメリカからの金の流出も止まらず、1971年には、米政府はドル発行総額の22%分しか金を保有していない状態になり、ついに金との交換を保証できなくなりました。
ニクソンショックで変動相場制へ
そして1971年8月15日、ニクソン大統領によって『新経済政策』が発表されました。いわゆるニクソンショックと言われるこの政策です。ドルと金の交換停止を含む新経済政策により、金本位・ドル固定為替制度が崩壊し、ブレトンウッズ体制は崩壊しました。その後,米ドルを中心とした国際通貨体制の構築が試みられ、1971年12月18日にワシントンのスミソニアン博物館にIMF主要10カ国の蔵相が集結、ブレトンウッズ体制崩壊後の国際通貨体制が協議されました。ここでの協議は、スミソニアン協定と呼ばれています。
ここでの主な取り決めは、ドルの切り下げと為替変動幅の拡大です。スミソニアン体制での為替相場の変動幅は中心相場の上下各2.25%に拡大されました。しかし、この協定も混乱した国際通貨を押さえ込むことは出来ず、英国をはじめ、各国がスミソニアン体制を放棄します。そして、1973年主要各国は変動相場制へと移行し、スミソニアン体制は崩壊しました。
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